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通園・通学するお母さんの声

0歳児のお母さんより

 入園するまでは、子どもとの関わり方が正しいかどうか確認するすべがなく悩んでばかりだったので、個別支援の時間に親子のふれあい方を先生に見ていただきフィードバックをいただけて、いつもとても参考になりました。人工内耳の手術前の12月から「聴くことを楽しむ」を大事にしたふれあい方を意識するようになったためか、我が子は、手術後から音入れ前までの音が聴こえない期間でもこれまで親しんできた手遊び歌を一人で歌い始めることがありました。現在では、聴こえた歌に合わせて手遊びやダンスをし、歌の拍子に合わせた声を出し、「ばいばい」や「見て」、「ちょうだい」などの声かけに答えるような身振りをしてくれるようになりました。通い始めてまだ数ヶ月ですが、この期間は我が子の発達のタイミングと重なったのか、日に日にできることが増え、親子のふれあいの時間がより一層楽しいものになりました。

また、歌って踊るだけではなく、人との関わり方も学びつつあるように感じています。我が子は12月頃登校しても人見知りで泣きわめき、母から離れず、挙げ句の果てに寝てしまうこともありました。1月は、人工内耳の手術前の健康管理のため登園を控え、個別支援やグループ活動をオンラインで行っていただくことになりました。このオンライン対応は本来新型コロナウィルスの流行に伴うものではありますが、人見知り期の我が子にはこの距離感がちょうどよかったようで、我が子が担任先生に慣れる良いきっかけとなりました。加えて、歌のDVDでも先生に親しんだおかげか、2月の登園では泣くことが少なくなり、先生方に手を振って挨拶をしたり、個別担当の先生と楽しく遊んだり歌ったりできるようになりました。これからもっともっとお友達や先生方とふれあう楽しさを覚えて、いろいろな言葉を獲得してほしいと願っています。

0歳児のお母さんより

 予定日から5日遅れで待ちに待った第一子の誕生。初産にして5時間を切る安産で生まれてきてくれて、順調そのものでした。そんな中、産院で入院中に受けた新生児聴覚スクリーニング検査で出た結果が要再検査(リファー)。結果を伝えに来た助産師さんが言うには「よくあることだから心配しないで。まだ羊水が抜け切れてないことがある。1ヶ月検診の時にまた検査しましょう」とのこと。そのときは私達も「そうなんだぁ」くらいにしか思っていませんでした。
そして1ヶ月後、再検査をしてもらうも結果はまた再検査。
「大学病院で精密検査をしてもらいましょう」その言葉で一気に不安でいっぱいになりました。その日から精密検査までの日というもの、ひたすら彼の耳元で音を鳴らしては反応を確かめ、気が付くとスマホを触るたびに精密検査で何事もなかった人はいないのか、ただそれだけを調べていました。ようやく彼が生後3ヶ月の時に精密検査を受けることができ、結果は高度~重度の難聴であるということでした。最初は受け入れられないというか、信じたくないというのが本音でした。しかし病院の先生に療育についてお話を聞いたり、学校の見学に行ったりしていくうちに、徐々に彼の将来について考えるようになりました。
そうして出会ったのが日本聾話学校(ライシャワ・クレーマ学園)です。この学校に通う子ども達を見たとき、私たちの不安は消え、トンネルの向こう側に見える光のようなものが見えました。私たちが進むべき道はここだと確信しました。通い始めてからは、素晴らしい先生・スタッフの方々のおかげで何よりも楽しく、彼が様々な音に気付き、理解していくことに喜びを感じました。また、私たち自身も彼の毎日の小さな変化に敏感に気が付くようになりました。
1歳になった今では、大人の言葉を一生懸命聞き、真似する姿が見られ、これからの成長がとても楽しみです。そして親の接し方や向き合い方が大事だということを学び、子どもと共に私達も成長の日々となっています。

0歳児のお母さんより

 新生児スクリーニング検査と精密検査を経て難聴と分かってから生後3ヶ月で補聴器装用、4ヶ月からライシャワクレーマ学園に入園し、あっという間に1年半経ちました。
一番大きな出来事は1歳の誕生日の当日、両耳に人工内耳手術をした事でした。手術を予約した数ヶ月後に思ってもみなかった世の中になり、緊急事態宣言が出たことで、一度手術延期の連絡が来た時は落胆しました。いつ出来るか分からない状況に気持ちは焦り、不安は募るばかり。
でも、病院の先生方のご尽力で急遽決まった手術日がなんと我が子の1歳の誕生日でした。みんなでお祝いしようと思っていた日の手術にはとても心が痛みましたが、「でも、これは神様からのプレゼントだ!」と前向きに受け止め、手術に臨みました。コロナ禍での入退院は大変でしたが、関わってくださった方々には感謝のしようがありません。
退院時に音入れをしていただき、初めて反応したのが掃除機の音に驚いて泣きました。補聴器を装用しても反応がなく、聴こえているのか曖昧だったのが人工内耳にしてから明らかに聴こえているのがよく分かりました。
あれから9ヶ月になりますが、ライシャワクレーマ学園の先生方のご支援や家族の協力で音楽が大好きになり、何回も聴いている歌であれば、何の歌か聴き分けて踊れるようになりました。
名前を呼ぶと「はーい」と言えるようになったり、パパのお見送りも「バイバイ」と手を振ったり、まだ多くは話せませんが、少しずつ自発語が出てくるようになりました。
電子レンジがチンと鳴ると我が子が私にトントンと背を叩いて電子レンジを指差して教えてくれます。私は沸騰音や換気扇等の雑音で気付かないことがあるので有難いと思いました。インターホンの音も気が付かず、不在票を見て凹む事も少なくなりました。
ただ今、月齢的にイヤイヤ期真っ只中。やんちゃ度がエスカレートし、言うことを聞いてくれないことが多く、本当は分かっているのにわざと聴こえないフリをしたり、困っている私をニヤリと見ては面白がったりもします。イタズラを覚えて困ることは多いですが、元気に育っているのはとても有難いことです。
ライシャワクレーマ学園のお友達や先生が大好きで学校に行くのが楽しみになってきた我が子。コロナが収束したらもっとみんなと遊びたいね!!

1歳児のお母さんより

 病院の先生に難聴ですって言われた時は頭が真っ白になった。『難聴=手話』って思っていたママは受け入れるのにすごい時間がかかって、でも病院で人工内耳の事を聞いて色々な音を聴ける可能性があるって知ってパパもママも沢山調べて、実際に人工内耳を着けている子のお母さん達にも話を聞いて人工内耳の手術をするって選択にしたよ。
2020年に両耳人工内耳の手術、8時間後手術が終わって戻ってきた我が子は、包帯でぐるぐる巻きの顔が腫れていて、点滴をつけていて凄く痛々しかった。まだ小さいのに手術をする事になってごめんね。「何でママじゃないんだろう」って何度も思った。音入れの日、初めて見る人工内耳に興味は示すものの、放り投げて全然着けてくれず、おもちゃで気を引いてそれでもなんとか一瞬だけ、毎日触れていくにつれて、1ヶ月経たないで右側の磁石は嫌がらず着けてくれるようになった。結んだ髪にイヤーモールドを引っ掛けるようにすると、お絵描きや好きな遊びの時は着けてくれるようになって、両耳とも徐々に装着時間が増えていった。お昼寝やお出かけ、お風呂の時以外は着けてくれるようになったね。音入れから2ヶ月経つと外れたら取れたよー!って持ってきてくれて、着けるのに手間取っていてもちゃんと待って着けてから遊ぶようになったよね。
緊急事態宣言が出て、学園に通う機会がほとんど無く最初はオンラインだったので集中力が続かなかったり違う事して遊び始めたりと、座ってるのがやっと、だけど徐々にオンラインにも慣れていき、好きな唄ができたね。「でんでんむし」を歌うと一緒に歌おうとしたり、お絵描きの時にカタツムリを描きながら歌ったりしてたよね。
個別やお散歩が始まると楽しいみたいで「学園行くよ」って言って写真を見せると嬉しそうに自分で靴を履いてスタンバイ!笑
最近は音が鳴ったり聞こえたりすると、聞こえた!って毎回教えてくれるね!インターホンや他の機械の音、小さな鳥さんやカラスの鳴き声、飛行機の音、救急車のサイレンの音...他にも色々な音が聞こえると嬉しそうに聞こえた!って教えてくれるよね!ママやパパがよく使うことばや聞きなれたことばは真似して言う事が増えてきました。周りの音を聞いて、言える単語や理解できることばがこんなに増えるなんて1年前は全く想像してなかったです。何よりも我が子が、楽しそうにグループや個別に参加しているのを見ると嬉しく思います。
色々な人と関わるうちに自分から聴きたい、話したい、という気持ちになって沢山のことばを知っていって、それを使って沢山の人とコミュニケーションを取ったり、ことばで人を傷つけたり楽しませたりする事を学んで自分や周りの人の心を温かくできることばを沢山知って使っていって欲しいなって思います。

1歳児のお母さんより

 この一年はたくさんの変化がありました。一番の変化は人工内耳の手術をしたことだと思います。コロナの影響で一度手術を延期しましたが、無事に出来て本当によかったです。始めは全然つけてくれませんでしたが、音がしっかりと入るようになってくるとつけている時間も長くなり、ことばもだんだん出始めました。姉よりも聴力が厳しかったのもあってかことばの発達はゆっくりだと感じていましたが、急速に発達してきた印象です。一つの目標として姉の成長と同じくらいになればと思っているので、追いついてきているように感じています。
 家族が増えたことも我が子にとって大きな変化だと思います。どんなふうに赤ちゃんを迎えてくれるか心配をしていましたが、何の抵抗もなく受け入れてくれたように思います。赤ちゃんが泣けば一番に駆け寄って様子を見てくれたり、布団がかかっていないとかけてくれたり内面もお兄さんになったとうれしく思います。その反面、急に甘えてきたり大声で泣いてしまったり2歳らしい面も見られて面白いなと思います。
 以前に比べて自宅で過ごすことが多くなったのも大きな変化でした。お父さんも在宅勤務が増えたことで出勤がなくなり、関わりが多く持てるようになりました。ライシャワクレーマ学園の活動もオンラインが増えて集中して参加できるときもあるけれど、難しいときもありました。その中でも、準備を始めれば画面の前に座ってみたり、「オハヨウ」を言ってみたり、理解や成長も感じました。沢山の変化の中でも確実に成長しているのを感じています。たくさんの人と直接かかわりを持って過ごせるようになったらと思いますが、出来る範囲で成長を見守りたいと思います。ライシャワクレーマ学園での生活も早いもので残り一年となります。きっとさらに成長がみられる一年になるだろうと思います。我が子の成長をしっかりと見守り、大切に過ごしていきたいと思います。

2歳児のお母さんより

 1年前は、世の中がこんな事になるなんて思ってもみなかった。当たり前のように学校に行き、先生やお友達と最後の1年を満喫するはずだったのに。1番大事な2歳児なのになんで?とモヤモヤで始まった1年でした。そんな中でも、オンラインや出来る限り学校での活動を考えて下さった先生方には感謝しかありません。
 お家で過ごす時間が多く、刺激が少ないことを心配していましたが、家族の協力もあり、楽しくのびのび過ごすことができました。トランポリンや電動バイクを乗りこなし、教えなくてもでんぐり返しをするなど身体面での成長も見られました。
 聴こえに関しては、相変わらず補聴器の反応は良く、簡単な日常会話ではコミュニケーションに困ることはなかったように感じます。理解語や模倣も増え、「ある/ない」「大きい/小さい」などの概念も理解し、ことばで表現できるようにもなりました。歌の動画が大好きで良くまねして歌っていますが、音程やリズムもそれなりに合っていることには驚いています。2語文、3語文も少しずつ言えるようになってきたので、それが繋がり会話になることを心待ちにしています。
 3歳を過ぎた今ではイヤイヤ期は継続中で、聴こえているのに無視をしたり、お店で大の字になったり、困ることも多かったけど、家事のお手伝いをしたり、傷口を見て「いたい、いたい」と言って優しく撫でてくれたり、自立心や相手を思う気持ちもちゃんと育ってきています。
 学校生活では、先生に歌いたい歌をリクエストしたり、糊、絵の具を嫌がらなくなったり、母子分離でちゃんと聞き分けて泣かずに待てるようになったり、1年前は考えられなかったことが沢山出来るようになりました。先生に自ら抱っこを求める姿を見た時は、我が子にとって学校が安心できる場所なんだと感じ、親としてとても嬉しく思いました。
 本当は、もっと学校へ通いたかった。先生やお友達に触れ合いたかった。食事もトイレもみんなで経験させたかった。やりたかったことが出来ず、悔しい気持ちもありますが、ライシャワクレーマ学園でできなかったことを幼稚部では沢山経験して欲しいと思います。
 最後にライシャワクレーマ学園で我が子に関わって下さった先生方、お母さん方、本当にありがとうございました。引き続き幼稚部でも我が子の成長を見守ってください。どうぞよろしくお願いいたします。

2歳児のお母さんより

 この学園で初めて補聴器を装用して丸3年が経ちました。装用した当初は、すぐに自分で外して口に持っていってしまい、特に車の中での装用がとても困難で、学園に行くのも苦痛でした。そんな我が子も今では、車の中でハウリングした際には自分で対応できるほど、補聴器が体の一部になってくれました。当初、私自身が我が子の難聴に向き合うことができず、学園に行くことがとても負担でしたが、先生やまわりのお母さま方に支えられ、楽しく通えるようにまでなりました。3年間で我が子は、先生やお友達との関わり方も上手になってきて、積極性も増したように感じます。自我や意思がかなり強いため、周りに迷惑をかけてしまうことが多いのですが、ライシャワ・クレーマ学園に通い耳だけでなく人間的にも成長してくれたように感じています。

2歳児のお母さんより

今年は、我が子にとって最後のライシャワクレーマ学園での生活でした。コロナ禍の為、学校に行く機会は減り、お友達と関わったり、学校で食事をしたり、沢山の経験をすることが出来ませんでした。それでも先生方が、色々と考えて下さって学校での2歳児グループの再開やお散歩の計画などでした。学校での個別が出来るようになり、直接、先生方やお友達との関わりを持つことが出来、とても貴重な時間を過ごすことが出来ました。
 そんな1年の中でも、我が子の成長を沢山見れたような気がします。我が子とのコミュニケーションが会話で成り立つようになりました。自分の気持ちを相手に伝えることが出来るようになり、兄弟たちとも対等にことばでケンカをしていて、「~がとった」とか「~がやったんでしょー」とあらゆることばをつかっていて、とてもびっくりしたのを覚えています。
 また、「寒いからベスト着ていい?」「お茶を飲みたいから入れて下さい」など、しっかりとことばで伝えてきてくれて、日々発語が増え、成長を感じることが出来ました。
 毎回の個別で先生が我が子の大好きなお話を用意して下さって、それが我が子の楽しみの一つになっていました。ページ毎に書かれている絵を見て、我が子が感じたこと、見つけたものを先生に伝えていました。お話から色々なことばを覚え、相手に伝えることや考える力も身についていったのかなと思います。ことばの成長と共に「これはいいけど、これはイヤだ」と言うのもはきっりしてきました。その時にどう対応するのがベストなのか考えても答えが出ないこともあります。毎日、試行錯誤しながら子育てですが、イヤだと我が子がスイッチを入れている時こそ、心を冷静になって我が子と向き合い、落ち着くまで待つことやしっかりと話を聴いて受け止めることを忘れないように過ごしていきたいと思います。まだまだこれからですが、4月から幼稚部へ入園するので新しい環境で、どう成長をしていくのか楽しみにしています。親として今までと変わらず、見守っていきたいと思います。

2歳児のお母さんより

 今年度は我が子の伝えたいという気持ちがあふれ出してきた1年でした。言葉が出て気持ちに追いついてきているようで、やりたいことや嫌なことをきちんとことばで伝えられるようになってきました。1年近くずっと補聴器や人工内耳を付けるのを嫌がっていましたが、最近は朝起きてくるとお話しがしたいのか自分から「オミミツケテー」と言ってくるようになりました。夜に「お風呂入るよー」と声を掛けると「イヤダ、オフロハイラナイ!」ときちんと自分の意思をことばで伝えられるようになったことは大きく成長したところです。特にここ2か月の間にしゃべることへの意欲が感じられ、我が子と話せることの喜びを感じています。

幼稚部のお母さんより

 我が子は生後5ヶ月でRK学園に入学し補聴器を装用しました。その後2回の手術を経て両耳人工内耳となりました。この学校に入り、難聴児の育児に悩んだ時や手術など様々な節目ではいつも先生方が寄り添い、私たち家族を受け止めて下さいました。その度に私たちは前向きに明るく進んでこれたのだなと思います。聴力の重たい我が子が音に反応し、やがて声を出すようになり、今では兄弟ゲンカをしたり、お友だち同士で会話もするようになりました。小さな成長の積み重ねを一つ一つ学校の先生方に受け止めてもらい濃密な毎日を過ごさせてもらっているおかげです。我が子の難聴が判明した時の衝撃は忘れることは出来ません。でも、そのおかげでこの学校の先生や他のご家族との出会いがあり育児を密に楽しむことが出来ています。毎日感謝でいっぱいです!

小学部低学年のお母さんより

 息子が難聴と診断されたのは1歳半の時で、その頃はまさか言葉で会話できる日が来るなんて想像もできませんでした。
乳幼児部(ライシャワ・クレーマ学園)に入ってからはまだ言葉を発しない息子に必死に話しかけ、「私だけしゃべって何をしているんだろう。」と心が折れそうになりながらも学校の先生方を信じ「楽しみながら言葉を覚えていく」ことを守り育ててきたつもりです。
日本聾話学校に通い始めて8年・・・ 独り言のようだった私の会話に今は息子が返答してくれます。
 この学校には子どもたちが発することば一つ一つに丁寧に寄り添って下さる先生方がいます。
自分の言葉を受けとめて返してくれる喜びを知った息子は、つい親が「うるさ~い!」と言ってしまうほど、今日も楽しそうに会話しています。
親子共に支えてくださる学校に感謝する日々です。

小学部高学年と中学部のお母さんより

 子どもたちは難聴のため目覚まし時計が聞こえないので、朝自分から起きるのは苦手です。寝ぼけまなこで人工内耳をつけたときから、音が入ると目がはっきり目覚め、にぎやかな一日が始まります。学校へ元気に出発すると安心し、帰宅する「ただいま」の声色で何かあったかな?と感じます。寝る瞬間まで人工内耳をつけていたいので、ずっと音を聞いていたいんだなと思います。
 子どもが幼いころは言葉が出なかったり発音がはっきりしなかったりと子どもの気持ちがわからずもどかしい時期もありました。でも、一緒に寄り添っているうちに、子どもが伝えたい、話したいという気持ちがあふれてきて、ひとつづつ分かり合えた喜びの積み重ねは宝物です。
 「あんがと(ありがとう)」「だーぶ?(だいじょうぶ?)」「ママ」と呼んでくれたのは健聴の子よりもずいぶん遅かったですが、子どもから発した言葉が理解できたあの瞬間は、今でも胸が熱くなります。
「子どもたちを信じて、あせらないで、待ちましょう」不安でいっぱいの保護者たちを先生たちは話をよく聞いてくださり、一緒に成長を喜んでくれます。
 毎朝必ず行われる補聴器チェックでは、子どもと会話しながら補聴器や人工内耳の動作チェックがあり、電池の残量や耳の状態を観察してくださいます。加えて定期的な聴力検査やイヤーモールドの作成や修正、学習では赤外線補聴システムなどによって、確実にきれいな音が子どもたちに届くように整った環境です。
 一学年の人数も少ないので、お互いの話を聞きあえる、助け合いながら過ごしています。幼稚部から中学部まで異年齢の子どもたちがみんなで遊べてとくに昼休みはにぎやかです。賛美歌を始め、季節の歌も日常のなかで聞こえてきます。音程やリズムは外れることもありますが、気持ちよくみんなと合わせて歌う姿がとても好きです。困ったことがあると、いつでも快く相談に乗ってくださる先生方や一緒に過ごしてきた保護者の方々、ここでの出会いこそが宝物だと思います。

小学部高学年のお母さんより

日本聾話学校に通って
 初めて日本聾話学校を見学し、子どもたちが楽しそうにお喋りをしたり歌を歌う様子に大変驚き、息子とすぐにここに通いたいとその日に入学を決めて通学し始めてから10年が経ちます。生後ほどなく補聴器では対応が難しいほどの重度難聴が判明し、この子の口から言葉が出ることは一生ないのだろうかと思い悩んでいた私にとってその光景は衝撃的でした。まさに一筋の光が見え、歩むべき方向が見えたことをまざまざと思い出します。
 そしていま、人工内耳を使いこなし、うるさいくらいによく喋るまでに成長した息子はなによりも学校と先生、お友達が大好きです。もちろん健聴の子の育児とは異なる苦労もありましたが、先生方や同じ悩みを持つ保護者の方々に温かく支えられながらここまできました。育児とは、子どもとの感情の共有や思考や文化の継承でもあるということ、その根本にあるのは親子の母語による会話、対話の積み重ねであることを改めて感じています。10年前の日本聾話学校との出逢い、先生方との出逢いに感謝する日々です。

イメージ:通園・通学するお母さんの声
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