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通園・通学する保護者の声

0歳児のお母さんより (2024年3月)

 新生児聴覚スクリーニングで両耳リファー。我が子が産まれてとても嬉しくて幸せに感じていたのに、一気に不安が押し寄せてきました。退院の日、不安はどんどん大きくなりました。病院の言語聴覚士の紹介でライシャワ・クレーマ学園へ見学に行った時、通っている子ども達の姿を見て迷うことなくここに通おうと決意しました。想像していたより何倍も楽しそうに過ごす子ども達を見て、とても勇気をもらいました。ここでようやく本当の意味で我が子の難聴を受け入れることができたと思います。これからどんどん成長していく我が子の姿を見るのが楽しみですが、私たち夫婦もたくさん学んで我が子に寄り添っていきたいです。

0歳児のお母さんより (2024年3月)

 思い返すと、補聴器装用以前の難聴診断待ちの時期が一番もどかしく辛い時期でした。補聴器の装用を開始して、学校で同じような境遇の親子や先生方と出会って話すことで気持ちがぐっと楽になったのを覚えています。学校で子供との向き合い方を教わる中で、難聴だからと特殊な子育てをするわけではないと分かったことも、私を前向きな気持ちにさせてくれました。もちろん聞こえに対する配慮やより丁寧な語りかけは必要だけれど、何より子供のありのままを受け止め親子で楽しくやり取りすることが大切だと分かってから、毎日の育児がとても楽しく感じられます。

0歳児のお母さんより (2024年3月)

 イヤイヤ期が始まり、頑固で困ってしまうこともしばしばあります。しかしながら、お片付けの音楽が流れると片付けたり、「さよならあんころもち」の歌では、お友達と積極的に手を繋ぐようになったりしています。だんだんと人見知りが柔らかくなっているように感じます。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

 グループの活動では、先生方に褒められると笑顔が見られるようになりました。徐々にホールの中で楽しく遊べるようになりました。まだ理解していることばは少なく発語もありませんが、焦らず楽しい日々を過ごし、いろいろな経験を我が子と一緒にしていきたいと思います。我が子のペースで成長していければと思います。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

 私たち夫婦にとっても変化と学びのある一年になりました。
新入講では子どもを信じるということを改めて考えさせられましたし、初めのころは発語がないことを焦っていましたがしっかりと向き合って対話することでいずれ必ず言葉が出てくるというお話をいただき、最近では我が子の発語についてもいい変化がたくさんあります。これは難聴児でも健聴児でも関わり方は同じであって、難聴についての配慮は確かに必要であると思いますが、子育てという点では難聴を特別扱いしすぎていたのかなぁという気づきでもありました。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

  歌や楽器の音などをじっと聞くようになり、音への関心が出てきました。手遊び歌やリズム遊びもニコニコと楽しそうに参加し、寝る前の絵本タイムも大好きです。また、歌らしきものも出てきていて、これからの成長がますます楽しみな日々です。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

 2歳になる直前に初めて、「ママー」とかすかな声を聞け、その後は「抱っこ」や「ちょーだい」など時々言っています。まだ声を出して意志を伝えるまではつながっていませんが、こちらの会話を理解しているのは分かりました。それがとても嬉しかったです。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

行動の面では、ハイハイから歩くという成長を見せてくれました。歩き始めたのが1歳6ヶ月を過ぎてからで、私自身は正直焦りも感じていましたが、そんなことを気にすることもなく、我が子のペースで歩き始めたので、「信じて待っていて良かった」と思う瞬間でした。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

 お耳の成長以外もこの1年はたくさん驚かされました。とにかくお歌が大好きで、メロディと振り付けをすぐに覚えます。個別でも好きな歌を何度も「(音楽)かけてー!」と先生にリクエストをしています。お絵描きも好きで、クレヨンを上手に持って楽しそうに描いて見せてきます。それも殴り書きではなく様々な形や線、顔も描けるので驚きです。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

ぼそっと呟いた私の独り言に反応したり、こちらの言ったことを上手に真似して言い返すことが増えてきました。家では人工内耳を付けることを嫌がることもありますが、自分から「あれ?今聞こえていないな」という顔をして耳を指さし、人工内耳を付けるよう言ってくるようになりました。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

まだまだ試行錯誤で育児をする日々ですが、我が子の気持ちをたくさん聞いていただける環境で、ありのままの自分を受け入れてもらっていることを実感しながらこのままお喋りがもっと好きになってほしいと思っています。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

最近は会話が続くことも増えてきて、お買い物ごっこやお医者さんごっこなどごっこ遊びも楽しむようになってきました。向かう途中から泣くほど嫌だった病院も、最近は積極的に「せんせい見て見てー!」と進んで診察を受けるようになり、一人で椅子に座って注射も打ってもらうなど劇的な病院克服を遂げ、楽しそうにお医者さんごっこをするようになりました。

1歳児のお母さんより (2024年3月)

 我が子の伝えたい!と言う気持ちが溢れていて、「ママ、みてー!」「ママ、こっちきてー!」「ママ、ここ!(座って)」がすごいのですが、一緒にいて同じものを見て喜びを分かち合うことができると我が子もすごく嬉しそうですし、私自身もとても幸せな気持ちになっています。これからも我が子の目線で同じものを見たり聴いたりして、喜びを分かち合いながら過ごしていきたいです。

幼稚部のお母さんより

 我が子は生後5ヶ月でライシャワ・クレーマ学園に入学し補聴器を装用しました。その後2回の手術を経て両耳人工内耳となりました。この学校に入り、難聴児の育児に悩んだ時や手術など様々な節目ではいつも先生方が寄り添い、私たち家族を受け止めて下さいました。その度に私たちは前向きに明るく進んでこれたのだなと思います。聴力の重たい我が子が音に反応し、やがて声を出すようになり、今では兄弟ゲンカをしたり、お友だち同士で会話もするようになりました。小さな成長の積み重ねを一つ一つ学校の先生方に受け止めてもらい濃密な毎日を過ごさせてもらっているおかげです。我が子の難聴が判明した時の衝撃は忘れることは出来ません。でも、そのおかげでこの学校の先生や他のご家族との出会いがあり育児を密に楽しむことが出来ています。毎日感謝でいっぱいです!

小学部低学年のお母さんより

 息子が難聴と診断されたのは1歳半の時で、その頃はまさか言葉で会話できる日が来るなんて想像もできませんでした。
乳幼児部(ライシャワ・クレーマ学園)に入ってからはまだ言葉を発しない息子に必死に話しかけ、「私だけしゃべって何をしているんだろう。」と心が折れそうになりながらも学校の先生方を信じ「楽しみながら言葉を覚えていく」ことを守り育ててきたつもりです。
日本聾話学校に通い始めて8年・・・ 独り言のようだった私の会話に今は息子が返答してくれます。
 この学校には子どもたちが発することば一つ一つに丁寧に寄り添って下さる先生方がいます。
自分の言葉を受けとめて返してくれる喜びを知った息子は、つい親が「うるさ~い!」と言ってしまうほど、今日も楽しそうに会話しています。
親子共に支えてくださる学校に感謝する日々です。

小学部高学年と中学部のお母さんより

 子どもたちは難聴のため目覚まし時計が聞こえないので、朝自分から起きるのは苦手です。寝ぼけまなこで人工内耳をつけたときから、音が入ると目がはっきり目覚め、にぎやかな一日が始まります。学校へ元気に出発すると安心し、帰宅する「ただいま」の声色で何かあったかな?と感じます。寝る瞬間まで人工内耳をつけていたいので、ずっと音を聞いていたいんだなと思います。
 子どもが幼いころは言葉が出なかったり発音がはっきりしなかったりと子どもの気持ちがわからずもどかしい時期もありました。でも、一緒に寄り添っているうちに、子どもが伝えたい、話したいという気持ちがあふれてきて、ひとつづつ分かり合えた喜びの積み重ねは宝物です。
 「あんがと(ありがとう)」「だーぶ?(だいじょうぶ?)」「ママ」と呼んでくれたのは健聴の子よりもずいぶん遅かったですが、子どもから発した言葉が理解できたあの瞬間は、今でも胸が熱くなります。
「子どもたちを信じて、あせらないで、待ちましょう」不安でいっぱいの保護者たちを先生たちは話をよく聞いてくださり、一緒に成長を喜んでくれます。
 毎朝必ず行われる補聴器チェックでは、子どもと会話しながら補聴器や人工内耳の動作チェックがあり、電池の残量や耳の状態を観察してくださいます。加えて定期的な聴力検査やイヤーモールドの作成や修正、学習では赤外線補聴システムなどによって、確実にきれいな音が子どもたちに届くように整った環境です。
 一学年の人数も少ないので、お互いの話を聞きあえる、助け合いながら過ごしています。幼稚部から中学部まで異年齢の子どもたちがみんなで遊べてとくに昼休みはにぎやかです。賛美歌を始め、季節の歌も日常のなかで聞こえてきます。音程やリズムは外れることもありますが、気持ちよくみんなと合わせて歌う姿がとても好きです。困ったことがあると、いつでも快く相談に乗ってくださる先生方や一緒に過ごしてきた保護者の方々、ここでの出会いこそが宝物だと思います。

小学部高学年のお母さんより

日本聾話学校に通って
 初めて日本聾話学校を見学し、子どもたちが楽しそうにお喋りをしたり歌を歌う様子に大変驚き、息子とすぐにここに通いたいとその日に入学を決めて通学し始めてから10年が経ちます。生後ほどなく補聴器では対応が難しいほどの重度難聴が判明し、この子の口から言葉が出ることは一生ないのだろうかと思い悩んでいた私にとってその光景は衝撃的でした。まさに一筋の光が見え、歩むべき方向が見えたことをまざまざと思い出します。
 そしていま、人工内耳を使いこなし、うるさいくらいによく喋るまでに成長した息子はなによりも学校と先生、お友達が大好きです。もちろん健聴の子の育児とは異なる苦労もありましたが、先生方や同じ悩みを持つ保護者の方々に温かく支えられながらここまできました。育児とは、子どもとの感情の共有や思考や文化の継承でもあるということ、その根本にあるのは親子の母語による会話、対話の積み重ねであることを改めて感じています。10年前の日本聾話学校との出逢い、先生方との出逢いに感謝する日々です。

イメージ:通園・通学する保護者の声
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